HUESの歩み
1994
HUES人力水中翼艇の設計・製作チームとして始動
人力飛行機の設計・製作活動の前身として人力水中翼艇の設計・製作活動がありました。当時人気のあった「夢の船コンテスト」に出場することを目標として結成されました。
チーム名はHUES(ヒューズ)。これはHiroshima University(広島大学)と、Engineering Systemsの頭文字を取った名称です。英語でのHUESには「色彩」という意味があります。いろんな学部学科からいろんな個性「色」を持った学生さんが集まってきて一つのものづくりをするという意味合いを込めました。
しかし,「夢の船コンテスト」は1994年には開催されませんでした。できあがった艇が活躍できる大会を探していたところ、「浜名湖ソーラー&人力ボート全日本選手権大会」に出場することになりました。一人乗り艇で出場し、準優勝という結果を残しました。
1995
-2001
「浜名湖ソーラー&人力ボート全日本選手権大会」学生部門で優勝
次の年、1995年からは一人乗り艇と、二人乗りのタンデム型の艇を作って出場したところ、この後、7年連続学生部門で総合優勝という、過去に例のない快挙を成し遂げることができました。
浜名湖のレース場を貸し切ってレースが行われ100mタイムトライアルレースで航走しました。フライングスタート方式でスタートし、100m区間を何秒で走ることができるかという時間を競うものでした。
HUESは、この100mの区間、完全に水面から浮き上がって翼走する(走る)ことができました。このように完全に浮上して走ることができた学生チームとしては唯一した。韓国でも同じような人力ボートレースの大会が開催されており、招待いただきました。
2002
鳥人間コンテスト初出場
2001年までこの人力水中翼艇の設計製作活動を続けて、この年を最後にボートからは手を引き、人力飛行機にチャレンジすることになりました。色んな機体形状の中から、双発機(右と左両方にプロペラが付いている機体)を選んで、それを設計して大会に出場することになりました。しかし、ボートとは作り方が全く違うので、製作は非常に悪戦苦闘し,大会では押し出し時にプロペラを破損し、記録は16.62mとなりました。
2003
鳥人間コンテスト 2年目
前年の反省を活かして設計・製作法を抜本的に見直し、プロペラを主翼前に配置しました。大会本番ではきれいな発進を達成して一時安定飛行するも、その後機首が下がり着水。記録は68mでした。
2004
鳥人間コンテスト 台風による中止
大会当日、山口県に台風が上陸していました。当時は彦根市に大雨洪水暴風警報が発令されている中、大会は開催されました。広島大学も機体を飛ばすプラットフォームの上に上がりましたが、7.5m/sを超えるような後方からの風が吹いていました。風速7.5mは機体の設計機速と同程度になってくるので、当然飛べるような状況ではありません。風に耐えながら方向転換をして、プラットフォームの前方に機首を向けようとした時、主翼が折れてしまいました。これは当チームだけではなく、他のチームも同じような状況で、大会は中止になりました。
2005
初めての試験飛行の試み
この年に初めて大会前に試験飛行を実施しました。会場は岡山県の笠岡市にある笠岡ふれあい空港(笠岡地区能動離着陸場)です。トラックで機体を搬入し、組み立て試験飛行を行いました。その成果もあって飛行記録は88mまで伸びました。
2006
大和ミュージアムとの連携
今回の大会からは、人力プロペラ機部門が従来のディスタンス部門に加えて新たにタイムトライアル部門が設けられました。両部門へ応募しましたが、今回は書類選考に合格したディスタンス部門のみに出場しました。
笠岡ふれあい空港で試験飛行(第1回目)を実施し、見事に離陸して200mほど飛行しました。その後も試験飛行を繰り返したところ、主翼主桁のパイプ接合部を破損してしましました。応急処置をして、大会本番では離陸に成功しましたが、飛行中に応急処置部が破断してしまい着水。記録は72mでした。また、今回の大会には、広島大学も設計・製作に協力している大和ミュージアムのチームが滑空機部門のフォーミュラクラスに「ZERO-Ⅱ」で参加し、101m飛行して3位入賞しました。
2007
KAEDE 始動
これまでの双発機によるディスタンス部門に加えて、単発機によるタイムトライアル部門へも応募し、両機体とも書類選考合格となりました。1つの大学から2機出場したは大会史上初でした。タイムトライアル機製作チームとして、大学院生と教職員からなる新チーム「楓」を結成し、単発機にて出場しました。大会1日目のタイムトライアル部門では離陸に成功して約53秒の間飛行するも、完走できず記録なしに終わりました。ディスタンス部門も離陸に成功し、記録は423m。結果は7位でしたが、これまでのHUES(双発機)の記録を大幅に上回りました。
2008
鳥人間コンテスト 7年目
今年も離陸に成功して407m飛行(公式記録は406.80m)。昨年の記録にあと一歩届きませんでしたが、結果は昨年と同じ7位でした。続く2009年の大会はリーマンショックの影響で中止となりました。
2010
最高記録を更新!!
HUES のみ出場し、飛行記録 は810m。チームの最高記録を更新しました。また、この年は広島大学の大学祭2日目に、大会に出場したKAEDEの実機を展示しました。
2011
鳥人間コンテスト 落選
残念ながらこの年は、書類選考で落選するという悔しい結果となりました。機体の改良のため、平面形と翼型を変更して揚抗比の向上を焦点に設計を行い、製作に取り掛かりました。フレームについては,FEM解析を行うことでフレームの角パイプ寸法を決定し、より軽いフレームを製作しました。
2012
鳥人間コンテスト HUESのみ出場
ディスタンス部門の8番目に登場して離陸しました。しかし琵琶湖の風に阻まれて198m(公式記録は197.81m)の7位に終わりました。今年の大会は風の影響を受けてディスタンス部門では多くのチームが悪戦苦闘しました。広島大学の大学祭ではHUESの実機を展示し、来場者が間近で飛行機を観覧できるよう機体展示を行いました。
2014
鳥人間コンテスト 10回目の出場
10度目の鳥人間コンテスト出場を達成。しかしながら大会当日は朝から天候が悪く、激しい風によって非情にもフライトの断念を余儀なくされたチームが続出しました。難しい判断を迫られる中で,フライト順8番目であるHUESはフライトを決行しました。無事離陸するもその激しい風に阻まれて前進することができず、懸命に機体を滞空させ続けましたが、記録は217m(公式参考記録は216.62m)となりました。大学祭ではHUESの実機を展示。エルゴメーターを使ってGoogle Earthでセスナ機を飛ばすというフライトシミュレータ体験の他、RedBull(レッドブル社)の協賛による紙飛行機大会も実施しました。大学祭当日はひどい雨でしたが、延べ122人の来場がありました。
2016
2483mの快挙を達成
11回目となる鳥人間コンテスト出場を果たしました。早朝6時から始まったこの日は、1番目のフライトでした。今回は天候にも恵まれ、無事離陸して揺れの少ない安定したきれいな飛行を続けて、遂に2483m(公式記録は2483.20m)、4位の記録を残しました。これは、2010年(第33回大会)で残したこれまでの双発機の最高記録の3倍であり、しかも、当初の目標であった1kmを超え、さらに倍以上の素晴らしい結果でした。テレビ放送ではHUESの機体が飛行する雄姿を取り上げてもらい、広く視聴者の方々に御覧頂きました。
2017
鳥人間コンテスト 12回目の出場
2017年の鳥人間コンテストでは今回も無事離陸して飛行を続けましたが、昨年達成した記録には残念ながら及ばず、1076m(公式記録は1075.92m)、10位という結果でした。その後2018年、2019年と書類選考をパスすることができませんでした.
~2024
鳥人間コンテストへ向けて、現在の歩み
コロナの影響で2020年の大会は中止になり,2021年、2022年も書類選考で落選してしまいましたが、部員はどんどん増えていき、30名ほどになりました。大会に出場しない間も、毎年飛行機を作っては試験飛行も行い、2022年には垂直尾翼をT-tailからV-tailに変えるという設計変更など新たな取り組みも行いました。
2023年には広島ではG7サミットが開催され、そのプレイベントの一環として依頼を受け、呉市海事歴史科学館で機体の展示とバルサ飛行機教室を実施しました。製作チームとは別のチームを作り、教育・広報活動へと活動の幅を広げました。チラシを作り子供達を集め、バルサ材を用いた飛行機を作って飛ばしHUESの活動を身近に知ってもらう取り組みを行いました。また、JAXA/YAC関係の指導者セミナーなどでの講演や、大学祭などでのバルサ飛行機教室などを複数回開催しました。
私たちは琵琶湖の空を目指し、今日も活動を続けています。