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What's HUES ?

What's KAEDE ?

広島大学の人力飛行機設計製作チーム~HUES~

​双発機製作部門 HUES

  HUESとは広島大学工学部に所属している、人力飛行機設計・製作チームである。鳥人間コンテストに出場し優勝することを目的とし、双発型人力飛行機を製作する。

​ 前身として人力水中翼艇の設計・製作活動がある。当時人気のあった「夢の船コンテスト」に出場することを目標として結成された。
 チーム名のHUES(ヒューズ)。これはHiroshima University(広島大学)と、Engineering Systemsの頭文字である。またさらに英単語としてのHUESには「色彩」という意味がある。そこから、様々な学部学科から様々な個性「色」を持った学生が集まり、一つの「モノづくり」を成し遂げるという意味が込められている。

​単発機製作部門 KAEDE

​ 2008年、双発機チームHUESのメンバーが大学院進学後に単発型人力飛行機を設計するチームとしてKAEDEが結成された。当時のメンバーは学部生時代にHUESで培った技術と経験をもとに、非常に完成度の高い機体を作り上げた。鳥人間コンテストでの出場はTT部門(Time Trial部門)であり、機体の特徴として短スパン翼とエルロンによる旋回機構をもつ。

​ チーム名のKAEDE。これは「かなりAdvanced Engineering Design Education」の頭文字である。前述のとおり、このチームのメンバーは経験値が豊富で「かなり」優れた技術を持っていた。そこから「K」の頭文字をとるというユニークな命名である。

​ 現在活動しているKAEDEは学部生メインで構成されており、過去機体から様々なことを学びながら新機体を製作している。

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​年表

​1992

HUESの前身の誕生

すべては、ある卒業生の「なぜ広島大学はいないのか?」という熱い問いかけから始まった。 当時、全国の企業や大学が自作の人力船でスピードを競った「夢の船コンテスト」。その熱狂の中に母校の姿がないことを惜しむ声が、教員と学生たちの心を動かした。

有志の学生と教員が一丸となり、一人乗りの人力水中翼艇の開発に着手。しかし、道は平坦ではなかった。出場を目指した大会自体が消滅するという不測の事態。それでも、彼らの「自分たちの船を浮かべたい」という情熱が消えることはなかった。

​1994

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HUES人力水中翼艇の設計・製作チームとして始動

新たな舞台を求め、浜名湖で開催される「ソーラー&人力ボートレース全日本選手権大会」への参戦を決意。この第1回大会への出場にあたり、チームは一つの名を冠した。

「HUES(ヒューズ)」

それは、当時の学科名「Hiroshima University, Engineering Systems」の頭文字であると同時に、「色彩・色調」という意味を持つ。 専門分野や個性の異なる「色豊かな」人間が集まり、一つのものづくりに挑む。その多様性こそが、私たちの強みであり、アイデンティティとなった。

1995
    -2001

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「浜名湖ソーラー&人力ボート全日本選手権大会」学生部門で優勝

1995年からは一人乗り艇と、二人乗りのタンデム艇の2種類で出場。その結果1995年から2001年まで7年連続学生部門で総合優勝という、過去に例のない快挙を成し遂げた。
この大会は浜名湖のボートレース場を貸し切って行われ、100mの区間を何秒で走れるかというタイムトライアル形式で競うものだった。
この大会でHUESは、100m
の区間を翼走(船体を水面から浮かし、水中翼のみで航行すること)できた唯一の学生チームとなった。
また韓国で行われている同系統のレースにも招待いただいた。

2002

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鳥人間コンテスト初出場

2001年を最後に、人力ボートの活動から手を引いたHUESは、新たに人力飛行機の設計・製作に挑戦することになる。
様々な機体案を吟味してたどり着いたのが、2発のプロペラを使用して飛行する"双発機"だった。
人力ボートの経験で培ってきた工作技術があったものの、飛行機の製作は難航。さらに機体運用においても難易度が高く、大会当日は押し出し時にプロペラを破損してしまうというハプニングに見舞われた。その結果、記録は16.62メートルと厳しいものとなってしまった。

2003

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​鳥人間コンテスト連続出場

前回大会に出場した際の経験を活かし、機体形状を変更。これによりプロペラ取り付け位置が主翼より前方となり、綺麗な飛び出しを切ることに成功。記録は68mとなった。

2004

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​荒れに荒れた2004年大会

大会当日は山口に台風が上陸し、彦根市には大雨洪水暴風警報が出される中、大会決行。ほとんどの機体がまともに離陸できず。大当チームの機体もプラットフォーム上で待機中に破損し、棄権。広大の飛行後、悪天候のために大会は中止。

2005

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4年連続鳥コンへ出場

2004年大会後、秋口から製作を開始する。5月7日に笠岡空港で当チーム初となる試験飛行を実施。チェーンドライブの張力が原因で主翼主桁が破損する。チェーンドライブをシャフトドライブへ設計変更し、製作し直す。大会当日はきれいに離陸し88m飛行。

2006

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​新たな挑戦

2005年大会後、直ちに製作を開始する。10月末には機体完成。11月13日、笠岡空港で第1回目の試験飛行実施。みごとに離陸し200mほどを飛行。第2回目(2007年5月3日)、第3回目(6月10日)、第4回目(6月29日)に試験飛行実施。第4回目の試験飛行で主翼主桁のCFRPパイプ接合部を破損。応急処置にて大会へ。大会では応急処置部が破断して着水。記録は72mとなった。

2007

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KAEDEの誕生、そして​初となる単発・双発で2機の出場

2006年10月より製作開始する。2月末には機体完成。笠岡空港で第1回目(3月14日)、第2回目(4月28日)試験飛行実施。安定して常時200m程を飛行。これまでの双発機によるディスタンス部門に加えて、単発機によるタイムトライアル部門へも応募。両機体とも書類選考合格となる。一大学から2機出場は広大のみ。タイムトライアル機製作チームとして、大学院生と教職員からなる新チーム「楓」を結成し、単発機にて出場。

2008

​7年連続鳥コン出場

今年も離陸に成功して407m飛行(公式記録は406.8m)。昨年の自らの記録にあと一歩届かなかったが,結果は昨年と同じ7位であった。

2010

​最高記録を更新

大会当日、2番目でHUESは満を持して飛び立ち,今年は810m飛行(公式記録は809.88m),6位であった。また今年は,本学の大学祭2日目に,大会に出場したKAEDEの実機を展示した。

2011

​初の鳥コン落選

翼平面形と翼型を変更して揚抗比の向上を焦点に設計を行い,製作に取り掛かった。(フレームについては,FEM解析を行うことでフレームの角パイプ寸法を決定し,より軽いフレームを製作)。残念ながら今回は,書類選考で落選するという悔しい結果となった。

2012

​厳しい記録更新

大会にはディスタンス部門のみ出場。今年はその8番目に登場して離陸するも,琵琶湖の風に阻まれて198m(公式記録は197.81m)の7位に終わる。なお,今年の大会はこの風の影響を受けてディスタンス部門では苦戦したチームが多かった。大学祭ではHUESの実機を展示。来場者が間近で飛行機を観覧できるようにして,人力飛行機に関する説明や質問への対応も行った。

2014

​鳥人間コンテスト 10回目の出場

10度目の鳥人間コンテスト出場を達成。しかしながら大会当日は朝から天候が悪く、激しい風によって非情にもフライトの断念を余儀なくされたチームが続出した。難しい判断を迫られる中で,フライト順8番目であるHUESはフライトを決行した。無事離陸するもその激しい風に阻まれて前進することができず、懸命に機体を滞空させ続けたが、記録は217m(公式参考記録は216.62m)となった。大学祭ではHUESの実機を展示。エルゴメーターを使ってGoogle Earthでセスナ機を飛ばすというフライトシミュレータ体験の他、RedBull(レッドブル社)の協賛による紙飛行機大会も実施した。大学祭当日はひどい雨となったが、延べ122人の来場があった。

2016

2483mの快挙を達成​

11回目となる鳥人間コンテスト出場を果たした。早朝6時から始まったこの日は、1番目のフライトでした。今回は天候にも恵まれ、無事離陸して揺れの少ない安定したきれいな飛行を続けて、遂に2483m(公式記録は2483.20m)、4位の記録を残した。これは、2010年(第33回大会)で残したこれまでの双発機の最高記録の3倍であり、しかも、当初の目標であった1kmを超え、さらに倍以上の素晴らしい結果だった。テレビ放送ではHUESの機体が飛行する雄姿を取り上げてもらい、広く視聴者の方々に御覧頂くことができた。

2017

​鳥人間コンテスト 12回目の出場

2017年の鳥人間コンテストでは今回も無事離陸して飛行を続けましたが、昨年達成した記録には残念ながら及ばず、1076m(公式記録は1075.92m)、10位という結果となった。

2018
~2023

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​もどかしい数年間

その後2018年、2019年と書類選考をパスすることができなかった。コロナの影響で2020年の大会は中止になり,2021年、2022年も書類選考で落選してしまったが、部員はどんどん増えていき、30名ほどになった。大会に出場しない間も、毎年飛行機を作っては試験飛行も行い、2022年には垂直尾翼をT-tailからV-tailに変えるという設計変更など新たな取り組みも行った。

 2023年には広島ではG7サミットが開催され、そのプレイベントの一環として依頼を受け、呉市海事歴史科学館で機体の展示とバルサ飛行機教室を実施した。製作チームとは別のチームを作り、教育・広報活動へと活動の幅を広げた。チラシを作り子供達を集め、バルサ材を用いた飛行機を作って飛ばしHUESの活動を身近に知ってもらう取り組みを行った。また、JAXA/YAC関係の指導者セミナーなどでの講演や、大学祭などでのバルサ飛行機教室などを複数回開催した。

2024

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KAEDEの再始動、そして再び目指す大空

2024年、第一回楓会議が行われ、楓は再始動した。再始動してしばらくの間は図書館の会議室を使用して会議が行われていた。当時の2年生は、2010年の楓の機体のパーツすべてを図面に書き起こす作業に取り掛かり、当時の1年生は図面を書く練習を始めた。その後、当時の1年生も上級生の監修のもとで図面作成に参加するようになった。また現在では部内大会として定着している第一回H-1グランプリが開催された。H-1グランプリとは各個人、あるいはペアがオリジナルの模型飛行機を作成し、図面点と飛行性能点で競う競技であり、人力飛行機作成に必要な技術を向上させることを目的としている。

2025​

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新KAEDEとして初の実績

本年は楓として初めて交流会に参加した。さらに新1年生が加入し、当初4人で再出発したチームは14人体制となった。この頃ようやく図面作成が終了し、ここから機体修復が本格的に始まった。現状の状態で機体の総組みを行い、機体の修復が必要な箇所を正確に把握することができた。その後、おおよその機体修復が完了した。さらに楓として再出発してから初となる試験飛行を実施し、全員がまだ経験が浅く不安もあったが事故なく終えることができた。

2026​

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​着実に実績を積み重ねる一年に

2月、二回目の試験飛行を行い、一回目よりも飛距離を大幅に伸ばすことができた。

​そして私たちは、あの空へ、再び。

 

© KAEDE, the team of HUES at the school of Engineering, Hiroshima Univ.

 

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